歩程 1日目 約11q 2日目 約12q 第1日目の行程 千貫堤…上青島一里塚跡(江戸から51里目)…=蓬莱橋(昼食・休憩)=…島田宿一里塚跡(江戸から52里目)…刀匠島田顕彰碑…大井神社(島田宿の鎮守)…大善寺…大井川川越遺跡(川越人足が集合した番屋)…大井川 第2日目の行程 大井川…金谷宿・佐塚本陣跡…柏屋本陣跡…金谷一里塚跡(江戸から53里目)…長光寺…石畳茶屋…金谷坂(風情ある石畳道)…諏訪原城跡(武田信玄築城.国指定史跡)=お茶の郷(昼食・休憩)=菊川坂(石畳道)…久延寺(家康手植えの五葉松・夜泣き石)…小夜鹿一里塚(江戸から54里目)…小夜の中山峠…日坂宿本陣跡…事任八幡宮(坂上田村麻呂ゆかりの神社。樹齢千年の大杉) ■第1日目・前編の行程 千貫堤…上青島一里塚跡(江戸から51里目)…=蓬莱橋(昼食・休憩)=… |
■上青島一里塚跡 江戸日本橋から51里目の一里塚です。 松並木が点在し、駐車場の前にあります。 東海道標識、木柱では「一里塚跡」、石柱碑では「一里塚趾」としています。何とも悩ましい表記の仕方です。 |
■栃山土橋 大津谷川と伊太谷川が、この橋の川上で合流して栃山川と名を変えます。昔は『島田川』とも呼ばれていました。 享和三年(一八〇三年)に書かれた『島田宿書上控』によると、江戸時代の『栃山橋』は土橋で、長さ一七間(三六・六米)、横幅三問(五・四米)、橋杭は三本立て七組で支えていました。土橋とは、板橋の上に柴(木の枝)を敷き、その上に土を貼ったものでした。この橋の東端が、当時の道悦島村と島田宿の境となっていました。 (説明板より引用) |
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